かざもりのブログ

福岡のこと、役立つ情報等紹介します

「博多町屋」ふるさと館・展示棟ー博多の人情・文化・歴史に触れるー

福岡の博物館ー「博多町屋」ふるさと館・展示棟

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 プロローグ

先日、用事で祇園に行き、帰りに櫛田神社でお参りをしました。時間があったので、鳥居のすぐ近くの櫛田神社参道沿いの「博多町屋」ふるさと館に行ってきました。知らなかった事も多々あり、多くの学びを得ることが出来ました。因みに「博多町屋」ふるさと館の館長は漫画「博多っ子純情」長谷川法世さんです。 

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[目次]

概要

 明治・大正期の博多の暮らしと文化を紹介する「博多町屋」ふるさと館は、明治中期に建てられた町屋を移築復元した「町屋棟(福岡市指定文化財)、臨場感あふれる山笠の映像ルームや商家に伝わる民具の提示などがご覧いただける「展示棟」、博多人形や名産品等を販売する「みやげ処」で構成されてます。また、伝統工芸の実演が展示棟において「博多人形」「博多独楽」「博多張子」「博多曲物」が日替わりで、「博多織」の実演は町屋棟で毎日行っています。「博多町屋」ふるさと館では、往時の博多の懐かしい情緒に触れることができます。

展示棟

1F

入口です。展示棟では入館料(一般200円、小中学生無料)がかかります。町屋棟は無料です。開館時間:10:00~18:00

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入場券です。

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エントランス

エントランスの受付の横に博多・福岡の観光名所の地図があり、観光ポイントを紹介してます。その下に観光名所等の多くのパンフレットが置いてあります。

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観光名所の地図の前に「博多町屋」ふるさと館のミニチュアがあります。

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博多・福岡観光名所の地図の向かいにエレベーターがあり、扉には漫画「博多っ子純情」が描かれてます。

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博多・福岡の歴史

博多は古くから大陸との交流を育んできました。隣の部屋に入ると大陸との交流も記録されている福岡・博多の歴史年表があります。歴史年表は弥生時代(西暦57年)の後漢の光武帝から奴国王「漢委奴國王」の金印が送られた出来事から始まり最後は平成23年(2011年)の四代目博多駅開業、九州新幹線開通までとなってます。

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博多歴史年表 4travel.jp

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博多と福岡

福岡・博多の歴史年表の向かいには「博多と福岡」についてのパネルがあります。

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奈良時代からここ(博多町屋ふるさと館付近)は「博多」と呼ばれてきました。那珂川と石堂川(御笠川)にはさまれた約1キロメートル四方の狭い区域ですが、古代から我が国の西の門戸として大陸と密接につながり、外国船の出入りする貿易港として栄えてきました。

 

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明治末期の福岡と博多

上が博多部からみた福岡部、下が福岡部からみた博多部

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明治末期の福岡と博多 haka-ten.com

双子都市の成立、福岡市の誕生

明治22(1889)年に市制施行となりましたが、翌年、新市名を「福岡市にするのか、博多市にするのか」で市議会が紛糾する事態が発生しました。

昔から貿易で栄え、商人の町として発展を遂げたこの地は、“博多美人”“博多織”など、“博多○○”の言葉が示すように、歴史的には「博多」の地名の方が先に使われてきました。

「福岡」の名前を持ち込んだのは、大河ドラマ『軍師官兵衛』で知られる黒田官兵衛(如水)の息子・黒田長政です。慶長6(1601)年、新しく領主となった長政は、古代鴻臚館のあった土地に城を築き、その周辺に町をつくりました。その町は黒田氏の父祖の地、備前福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)から名前を取って「福岡」と名付けられました。

以降、中洲を流れる那珂川を挟んで、東は博多、西は福岡に分かれることになったのです。博多は商人の町として、福岡は武士の町として、それぞれ特色のある双子都市として発展を遂げました。

ところが、明治23年(1890)2月、議員から「市名変更の議」が提出され、市名を「福岡市にするか、博多市にするか」で喧々諤々の大論争が勃発。

当時の市内の人口は、博多地域が25,677人、福岡地域は20,410人で、そのどちらにも属さない地域に1,530人が居住。議員数も、博多17名、福岡は13名となっており、「博多」がやや優勢かと思いきや、大詰めを迎えた日に3名の議員が欠席し、13票対13票の同数となる事態に。

最後は、旧福岡藩の武士だった議長が議長席を降りて1議員として「福岡」に投票。「博多市」の誕生は幻となったのです。そして、市名は「福岡」に譲った代わりに、開通したばかりの鉄道の駅名は「博多」駅に決定しました。(参照:#FUKUOKA)

博多の町割り

 博多の「町割り」(都市計画)ついてのパネルです。

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太閤町割りについて

天正15年(1587)6月、戦火で焼土と化した博多の町を再興したのは豊臣秀吉でした。薩摩の島津を平定して博多に戻った秀吉は筥崎宮に滞陣。

神屋宗堪ら博多の豪商たちの要請で、焼け野原となった博多を検分し、すぐさま再興(都市計画)を指示しました。この都市計画は「町割(まちわり)」と呼ばれてます。

七条の袈裟に見立てて、南北の広い縦筋と東西の狭い横筋を基本に、七つの「流れ」をつくりました。さらに、七小路、七堂、七厨子、七口、七観音を配置、博多を一山の七伽藍堂にたとえたといわれてます。

秀吉はこの博多再興の町割りとともに税金や諸役の免除などをもり込んだ「定」を発布し、博多繁栄の基礎をつくりました。

この「定」と町割りの時に縄張りとして使った間竿(複製)は、櫛田神社の「博多歴史館」に展示されてます。

流の成り立ちと変遷

「流」は博多独特の形態です。十数ヶ町が一つの「流」を形成、町人自治のシステムとして、また、山笠松囃子(どんたく)などの祭礼行事を協力しておこなう共同体として現在も生き続けています。

太閤町割り当初は「東町流」「呉服町流」「西町流」「土居流」「須崎流」「石堂流」「魚町流」の七流が作られましたが、江戸時代の元禄期に「新町流」「厨子流」が加わり、幕末には「新町流」が「岡新町流」と「浜流」に分かれ、十流が形成されました。

魚町流は福神を仕立てて出すので「福神流」ともいい、同じように恵比須を出す石堂流は恵比須流、大黒を出す須崎流は大黒流ともいいます。

現在は「東流」「西流」「恵比須流」「土居流」「大黒流」「中洲流」「千代流れ」の七流れ。中世から連綿と続くこの流の結束は今も強く受け継がれています。

福岡・博多のお祭り

福岡・博多の年間のお祭り日程表

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陽気で明るい博多ッ子は祭りが大好き。勇敢な玉せせり、商売繁盛の十日恵比須、春のどんたくで浮かれ、夏の山笠で熱く燃え、放生会博多おくんちに秋の訪れを感じる。盛大に行われるお祭だけでなく、四季折々、博多の町のどこかで地域のお祭りが行われています。 

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福岡・博多の歴史年表の近くに「博多松囃子(はかたまつばやし)」のパネルとミニチュアがあります。そして、ミニチュア製作者の山岡憲司氏のプロフィールのパネルがあります。

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 年の初めに福を寿ぐ松囃子は、夏の災いを払う祇園山笠とならび、博多の二大行事です。三流が福神(福禄寿)・恵比須・大黒を東流・西流が二年交代で稚児を受け持ちます。

先頭には児童が太鼓で「言い立て」を囃し、美しく彩られた傘鉾を押し立て、馬上の三福神に続いて稚児を乗せた仮閤をひいた行列が福岡城に入り、藩主の前で稚児が祝賀の舞を舞い、そのあとは博多の町々を祝って回りました。

もとは正月十五日(小正月)の行事でしたが、現在では五月三日、四日の「博多どんたく」として行われてます。

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一番手前は博多祇園山笠、飾り山を見学する人々のミニチュアです。

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山笠の様子を表現してます。

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一番手前は博多松囃子の様子を表現してます。

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博多祇園山笠

次のコーナーは博多祇園山笠です。正面のモニターでは博多祇園山笠を上映してます。まわりには山笠の歴史等を説明したパネル、肩棒、法被等があります。

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山笠には祇園様の力によって博多の町から災いを取り除いてもらおうとする人々の願いがこめられています。

山笠期間中の各流の行事、山笠の構造山昇き追山の順路などには、それぞれに深い意味があり、それが博多祇園山笠を伝統ある格式の高い祭りにしてます。

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山笠の歴史

鎌倉時代の1241(仁冶二)年、聖一国師が疫病退散のため、施餓鬼棚に乗って博多津中を舁き回らせ、聖水をまいたと伝えられていることが山笠の起源と言われてます。2016(平成二八)年には、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。

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山笠歴(やまかさごよみ)

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山笠の期間には、お汐井(しおい)取り注連下(しめお)ろし御神(ごしん)入れといった、きちんとした神事の流れがふまえられ、祇園祭当日の追い山まで、”流舁き””他流舁き”といったリハサールが繰り返され、一糸乱れぬ山笠の動きが出来上がります。

昇き山の構造

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山を動かす人々 追い山の順路

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山を動かす人々

山笠は、山を舁く人、指揮をとる人、前から操縦する人、後押しをする人たちの呼吸がピッタリ合って、はじめてスムーズな動きとなります。こうした集団行動をとおして、流の一員として自覚が育っていくのです。

追い山の順路

櫛田神社から須崎町までの全長五キロのコースには、博多の七流れを一巡しながら、災いを山笠人形に依りつかせて、町々を祓い浄めるという意味が含まれています。

下の動画は「博多町屋」ふるさと館でも上映された博多祇園山笠バーチャルリアリティ映像です。山笠に台上がりした目線で追い山を体験できます。山笠の迫力と臨場感を360度目線で見れます!

博多弁講座

次のコーナーは「博多弁講座」です。電話機の受話器を耳に当てると、ユーモアと人情味あふれる博多弁が聞こえてきます。初級編、対談編、博多にわか編のそれぞれ異なる3種類の博多弁講座を楽しむことができます。

 

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のぞきからくり

 次のコーナー「のぞきからくり」です。のぞきからくりはお祭りの余興として人気がありました。解説者の語りとともに、レンズを通して仕掛けで変化する絵を見て楽しみました。レンズの奥を覗くと当時の風俗が生き生きとよみがえります。

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のぞきからくり fukuoka-yokamon.com
福岡・博多の街並み

次のコーナーは、明治~大正期の街並の写真と、現在の写真(同じ位置)を並べて比較展示しています。失われた記憶がよみがえります。

上は市制施行当時の市役所、下は旧福岡県庁舎

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上は天神町交差点の信号機、下は戦前の福岡市動植物園

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次のコーナーでは古き良き時代の博多のミニチュア町風景が楽しめます。

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博多の人物

次のコーナーは「博多の人物」です。博多の風土に育まれて活躍した人々。夢やロマンを追い求めた先人たちの生涯は、後世の私たちにその心意気を語りかけています。

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中世の謝国明(しゃこくめい:中国出身の帰化人で貿易商人、年越し蕎麦、鍼(はり)を伝えたと言われる)に始まり、近代の生田徳兵衛(いくたとくべい:博多にわか界の第一人者)までパネルに載ってます。

中2Fには古時計や氷機等が置いてあります。

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2F

2Fのエレベーターの扉にも「博多っ子純情物語」の絵が描かれてます。

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博多町屋思い出図画展

2Fに上ってすぐに「第23回博多町家 思い出図画展」のたくさんの絵が展示されてました。「博多町家 思い出図画展」とは、昔の暮らし、昔の風景など、人々の身近な歴史を図画という楽しい企画で掘り起こしていこうというものです。今回の最高賞「福岡市長賞には大宅徹さんの「遠い日、十五の旅立ち」が選ばれました。

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福岡市長賞の作品です。

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「博多町屋」ふるさと館長の作品です。

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西島伊三雄

次のコーナーでは、西島伊三雄さんの作品が展示してありました。西島伊三雄は博多出身のグラフィックデザイナー、童画家です。博多の祭りや子供たちを描いた作品など郷愁にあふれ、その画風は見る者の心を癒します。

「博多町屋」ふるさと館の初代館長で、博多の伝統文化をこよなく愛し、その親しみやすいキャラクターが大人気でした。福岡市営地下鉄駅のシンボルマークは代表作のひとつです。博多のソウルフード「うまかっちゃん」のパッケージもデザインしてます。商品の名付け親でもあります。

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うまかっちゃん nicheee.com

奥へ進みますといろんな博多の伝承工芸品が置いてます。匠たちが織りなす博多伝承工芸の世界、かたくなに技を守りながらも、新しい感覚をとりいれていく匠たちの世界がひろがります。ここでは博多張子、博多曲物、博多独楽、博多人形等をご覧いただけます。

博多張子

江戸中期、上方の人形師によって伝えられ木製や石膏製の型に和紙などを幾重にも重ねて成形される「博多張子(はかたはりこ)」は、布海苔(ふのり)によって貼り付け、天日干しで乾燥させたり、その後にニつに割って型かり取り出し、貼りあわせながら成型したりと、現在でも昔ながらの手の込んだ製法で作られています。ニカワで溶いた顔料で仕上げた色彩は色鮮やかでダルマなどを主題とした縁起物として親しまれています。

 

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博多曲物

博多曲物(はかたまげもの)は、杉や檜の薄い板材を曲げ、板の端を桜の皮で綴じ合わせて作る容器で、飯びつ茶びつ弁当箱などの生活用品や、茶道で使う建水菓子器などがあります。
博多曲物の起源は諸説ありますが、江戸時代より盛んに作られ、福岡市にある筥崎宮の神具として、古くから奉納されてきた伝統を有しています。また、茶道具は今も人気があり、飯びつ、弁当箱はご飯がおいしく食べられると、その良さが見直されています。

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博多曲物展 hakata.keizai.biz
博多独楽

博多独楽(はかたこま)は1,300年前、中国から子どもたちの遊びものとして竹製の唐ゴマが日本に伝えられ、17世紀後半、土台に鉄芯の心棒を打ち込んだ博多独楽が作られました。
それまでのコマとは違い、振りのないよく澄んで廻る博多独楽は手にとって移動させることが可能になり、ここにコマの曲芸が生まれ、各地のこま芸の発祥となりました。

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博多独楽 hakata-dentou-kougeikan.jp

 

博多独楽、博多張子、博多挟み

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 高取焼、マルティグラス、博多チャンポン

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博多織

博多織は、たくさんの経糸(たていと)に、細い糸を数本まとめ合わせた太い緯糸(よこいと)を力強く打ち込んで作られる絹織物です。1976年に国の伝統的工芸品に指定。

 博多染  寒鳥形 安恒染元

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版画博多織 杢目(もくめ)絞、包子絞、縫い絞り、三浦絞、おぼろ絞、雲絞、しころ絞等

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博多人形

1600年黒田長政の筑前入国に伴って多くの職人が集められ、その職人たちの中から素焼き人形が生まれ、現在の博多人形の下地が作られたといわれています。
明治になり、パリなどの国際的な博覧会で高い評価を受け、日本を代表する人形として知られるようになりました。現在では、純日本風な家屋に はもちろん、洋間のモダンな住まいにも癒しの空間を演出しています。

下の写真の博多人形は、博多人形師の松尾吉将(まつおよしまさ)氏の作品です。

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この部屋で博多人形の絵つけの実演が行われます。

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博多人形の絵つけ afro-fukuoka.com
博多町屋の部屋の様子

懐かしい昔の博多町屋の部屋の様子です。

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 懐かしい博多町屋の台所です。

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 隣の部屋に行きますと懐かしい博多町屋で使われたであろうミシンがあります。

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博多の風俗画と博多人形

博多の風俗画の紹介です。

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博多の風俗画「明治博多往来図会」を元に博多人形を作った人形師の紹介です。

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たくさんの博多人形です。

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博多仁和加

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陽気な博多の人の会話には、しゃれや言葉遊びがしばしば登場します。茶目っ気あふれる旦那衆はさらに博多仁和歌を輿ました。笑いにくるんだ風刺に、したたかな遊び心がうかがえます。

仁和加の歴史

「にわか」の始まりは、江戸中期の享保年間(一七四一年~)頃から素人が「俄(にわか)」と称して即興に、土地の方言で芝居の真似事などを演じるようになりました。現在は「一口にわか」を主流に大衆化され、益々盛んになってます。

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一口仁和加五題

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下の動画は博多弁「なまり」に関する「博多にわか」です。

いけどうろう

次のコーナーは「いけどうろう」明治四十三年博多町人の富士山登山旅行のミニチュアです。

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「いけどうろう」は、博多の子供の夏の遊び。昔の博多の子供たちは箱庭に素焼きの人形を飾って、思い思いの風景を再現し、玄関先などに飾りました。

当時、飾る素焼き人形は、博多人形師が余暇につくった「てびねり」もので、駄菓子屋などに売っていました。

下の写真のミニチュアは、企画展にあわせて「博多町屋」ふるさと館のスタッフが、上吉田(富士山吉田口)や箱崎駅出立の様子、いくつかの観光地を「いけどうろう」風につくっています。 

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地下

 地下にはトイレ、休憩所があります。また、山車(だし)、どんたく傘鉾があります。

地下のエレベーターの扉にも「博多っ子純情」の絵が描かれてます。

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山車・どんたくの傘鉾

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山車(だし)の説明板です。

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どんたくの傘鉾(かさほこ)の説明板です。

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このブログは「博多町屋」ふるさと館の公式ホームページを参照してます。

www.hakatamachiya.com

アクセス

 

 【バス】

西鉄バス「キャナルシティ博多前」下車・徒歩3分

【電車】

JR博多駅 徒歩15分、タクシーで5分
市営地下鉄「祇園駅」下車・徒歩5分

【車】

福岡都市高速2号線「呉服町ランプ」で降車。昭和通りを200m走った「蔵本交差点」を左折。大博通りを500m走った「祇園町交差点」を右折、300m走った信号を右折し、櫛田神社正門鳥居前から右折。

【駐車場】専用の駐車場はありませんので、近くの有料駐車場を利用して下さい。 

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A トランスパーク櫛田神社前

  冷泉6-20

B 三井のリパーク冷泉町第二駐車場

  冷泉町5-17 0120-325-130 24時間営業

C NPC24H冷泉町パーキング

  冷泉町5 0120-480-015 24時間営業

  最後に

「博多町屋」ふるさと館の情報量が多いので分けることにしました。次回の記事は町屋棟に関する記事です。福岡・博多にお越しの際は「博多町屋」ふるさと館に是非お越し下さい。