福岡の博物館ー「博多町屋」ふるさと館・町屋棟
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「博多町屋」ふるさと館」の概要
明治・大正期の博多の暮らしと文化を紹介する「博多町屋」ふるさと館は、明治中期に建てられた町屋を移築復元した「町屋棟」(福岡市指定文化財)、臨場感あふれる山笠の映像ルームや商家に伝わる民具の提示などがご覧いただける「展示棟」、博多人形や名産品等を販売する「みやげ処」で構成されてます。また、伝統工芸の実演が展示棟において「博多人形」「博多独楽」「博多張子」「博多曲物」が日替わりで、「博多織」の実演は町屋棟で毎日行っています。「博多町屋」ふるさと館では、往時の博多の懐かしい情緒に触れることができます。
町屋棟
町屋棟では、博多織に関する様々な展示があり、また、明治・大正期の町屋の部屋、庭等の様子を知ることができます。町屋棟は入館無料です。
博多織
博多織は、たくさんの経糸(たていと)に、細い糸を数本まとめ合わせた太い緯糸(よこいと)を力強く打ち込んで作られる絹織物です。1976年に国の伝統的工芸品に指定されてます。
博多織の歴史
起源
今から、約七五〇年前、博多商人満田弥三右衛門(みつだやざえもん)が、承天寺開山の聖一国師(しょういちこくし)とともに中国(当時の宋)に渡り、織物の技法を習得して帰国しました。
その後、弥三右衛門の子孫の彦三郎が再び中国(当時の明)に渡り、明の広東で織物の技法を研究しました。帰国後、博多の竹若伊右衛門とともに、さらに工法改良を重ね琥珀織のように生地が厚く、浮線紋や柳条などのある厚地の織物を作り出すことに成功しました。
これに地名をとって名付けられたのが、「覇家台(はかた)織」、すなわち博多織と伝えられています。
献上博多帯
約三七〇年前(江戸時代)、当時の筑前藩主・黒田長政は、幕府への献上品として博多織を選びました。模様は「独鈷(どっこ)」と「華皿(はなざら)」の組み合わせ模様で、中間に「縞(しま)」を織り込んだものです。
以来、黒田家は帯十筋(おびじゅっきん)と反物三疋(たんものさんひき)を毎年三月に献上することになったのが、献上博多帯(けんじょうはかたおび)のいわれです。
独鈷(どっこ)と華皿(はなざら)
家伝として弥三右衛門が織り始めたのは、技法もデザインも、中国(宋)の織物に似たものでした。そこで、聖一国師に相談したところ、真言宗の仏具である独鈷と華皿(仏の供養のために花を入れる皿)を織り出してはどうかとすすめられ織り上げられました。これが献上柄(けんじょうがら)として、今に伝えられています。
五色献上
紫・赤・黄・紺・青の五色を草木染めで染め織り上げたのが五色献上です。中国(当時の隋)の国制にならって織りあげられました。紫は徳、赤は礼、黄は信、紺は智、青は仁をあらわしてます。
伝統的工芸品博多織
風土と歴史の中で育まれてきた手造りの工芸品「博多織」は昭和五十一年六月二日付きで、通商産業大臣により、伝統的工芸品産業の振興に関する法律に基づき、国の「伝統的工芸品」に指定されました。
〇主として日常生活に使われる
〇主要工程が手造りである
〇百年以上続いている技術や技法で作られている。
〇百年以上使われている原材料を使う。
〇いわゆる「産地」が形成されている。
博多織ができるまで
図案(ずあん) 先染織物である博多織にとって、図案の作成は、最も重要なことです。伝統的なデザインに、新しい感覚をプラスします。
意匠図(いしょうず) 織物設計にしたがって、方眼紙に図を拡大して写し、組織別に色を変えて一目一目、たんねんに塗り分けていきます。
下の写真では右が図案、真ん中が意匠図、左が製品(出来上がった博多帯)
紋彫り(もんほり)意匠図にもとづいて、長方形のボール紙(紋紙)に、タテ糸やヨコ糸の動きを指示する穴をあけます。
*現在では図案から紋紙までは、コンピュータで処理するのがほとんどです。
紋編み 紋彫りのすんだ紋紙を、模様に従って編みつづり、循環させるために輪にします。
精錬(せいれん)織物の種類によって選びぬかれた生糸は、石けん、炭酸ソーダ類を使用し、約九十度の溶液で、セリシンその他の不純物を取り除きます。こうすることによって、絹独特のしなやかで、光沢のある絹糸になります。
染色 色見本によって、釜に染液をつくり、タテ糸ヨコ糸を染めます。織物の生命を左右する重要な工程の一つで、色見本通りに染め上げなければなりません。
下の写真では、右端より、一つ彫り(紋紙の修正などに使う)、編み上げた紋紙、飾り糸のいろいろ、絹糸のいろいろ、木附子(きぶし)又は五倍子(ごばいし:染色するとき使う)となります。
糸繰り(いとくり)染色された糸は、カセの状態になっていますが、これを整経やヨコ巻するために糸枠に巻き取ります。
整経(せいけい)博多織は五千本から八千本ものタテ糸を使用します。必要な巾、長さに合わせるために、糸枠から出た糸を指先に全神経を集めて、ドラムに巻き取っていきます。
綜絖通し(そうこうとおし)織物を織るには、ヨコ糸が通る杼道(ひみち)をあけるため、タテ糸を引き上げてやります。綜絖は、ジャカードの指示にもとづいて、タテ糸を引き上げる装置です。この綜絖にタテ糸を通す作業で、指先の熟練を要します。
筬通し(おさとおし)織物の巾と密度によって適した筬を決め、タテ糸を通します。また、筬はヨコ糸を打ち込む役目をします。
下の写真で右上より、日板、筬通し、綜絖通し、矢金、綜絖、左上より棒刀、金筬、竹筬
よこ合せ(よこあわせ)枠に巻き取られたヨコ糸は、織物に必要な太さに合わせて別の枠に巻き取ります。これをよこ合わせ、または合糸(ごうし)といいます。
よこ巻き(よこまき)合糸されたヨコ糸を杼の中に入れる木管に巻き取ります。これをよこ巻き、または管巻き(くだまき)といいます。
製織(せいしょく)仕掛けが完了し、力織機や手織りで、美しい博多織が織り上げられます。
下の写真で右より木枠(糸を巻く道具)、木管立て、木管、杼(ひ:織機用)、杼(手織用)
博多織七品目
博多織には、献上・変わり献上、平博多、間道、総浮き、綟り織り、重ね織り、絵緯博多の7つの種類があります。これらは伝統技法を受け継ぐものとして、博多織七品目と称され、伝統証紙が貼付されている一級品です。
下の写真では右上より総浮(そううけ)、綟り織(もじりおり)、真ん中の上より平博多(ひらはかた)、献上(けんじょう)・変わり献上(かわりけんじょう)、絵緯博多(えぬきはかた)、左上より間道(かんどう)、重ね織り(かさねおり)となります。
博多織機
町屋棟に入ると右側に博多織に関する展示となっており、入って直ぐに博多織に使う織機等があります。毎日ここで博多織の実演が行われてます。見学した時間帯に博多織の実演がありました。
下の動画では「博多織のできるまで」を説明してます。
「博多織」の記事では博多織工業組合のホームページを参照してます。
下の本では、 博多織の人間国宝の小川規三郎氏が伝統工芸の美の世界を初めて語ってます。父の厳しい修行を通じて新たな伝統を作り出そうとする真摯な姿が、一本の帯が醸し出す秘められた物語として機音とともに紡ぎ出されていきます。
博多町屋
町屋ギャラリー
町屋は間口が狭く奥行きがあるのが特徴。入って左側では商売ができるようになっており、商人の町、博多ならではのつくりになっています。中に入ると天井の高さ(約9メートル)にビックリ!
大きな梁(はり)や柱が町屋を支えてます。(説明板より)
町屋棟解説
博多の町屋
博多の旧い町屋は、太閤町割り(秀吉が指揮した都市計画)の中に立ち並んでいました。切り妻の屋根が連続して棟は通りに平行に連なり、瓦の波が通りの端まで続いていたのです。屋根の高さは江戸末期から明治初期まで21尺ほど(約6.3m)でしたが、それ以降になると30尺(9m)を超える場合もあります。
間口は3間(約5.9m)ほどが多く、奥の深い「うなぎ寝床」といわれる細長い敷地の家が大部分でした。狭い表口は奥まで通じる通り庭(土間)になっており、それに接して店の間→中の間→座敷、と奥へ並びます。座敷には濡縁があり、その外に灯籠や池、ときには地主神を祭った坪庭が見られます。通り庭の奥には台所や井戸がありました。
中の間の太い大黒柱の横には神棚が飾られ家中で一番重要な場所とされていました。また店の間と座敷の上には二階があり、中の間の上だけは吹き抜けで、太い梁組がそのままに見える広々とした空間を形成してました。(参照:説明板より)
切妻屋根
切妻屋根の連続
間口が狭く「うなぎ寝床」といわれる細長い敷地の家
「うなぎ寝床」を外から見る(展示棟と町屋棟の間の敷地)
座敷の濡れ縁、庭の灯籠等
座敷の上の二階、中の間の吹き抜け
町屋棟
「博多の町屋」ふるさと館の一角に移築、復元されてきたこの町屋は、いまや数少ない博多の町屋の特徴を見事に保つ福岡市有形文化財です。
明治中期に博多織織元の住居兼工房として冷泉町に建てられ、美しい白壁からも往時のたたずまいがしのばれます。間口は母屋と工場を合わせて約4間(約7.6m)ですが、奥行は約12間(約20.9m)におよび、奥へ進むうちに2ヶ所で段状に1間づつ横に広がっています。敷地が広がることは富の蓄積を意味し、末広がりの形の住居として商家らしく縁起の良さも喜ばれたようです。
二階に書院つきの奥座敷を造るために棟を高く築き、その位置を奥座敷の方へ1間ほどずらして、裕福な家の象徴であるスケールの大きな室内空間を生み出しています。
通り庭にそって1列に並んだ部屋のうち中の間は、吹き抜けがあり、大黒柱と二階渡り廊下の支えの彫物などが一体となって、町屋の独特の見せ場をつくってます。
町屋の美しい白壁
町屋の間口と奥行
「博多町屋」ふるさと館の館長の長谷川法世先生です。
座敷
階段
二階
吹き抜け
庭
博多塀(秀吉公が博多を復興する際、焼け野原で出た石や瓦を塗り込めて作られた壁)
二階
下の動画では町屋棟の様子が分かります。
アクセス
【バス】
西鉄バス「キャナルシティ博多前」下車・徒歩3分
【電車】
JR博多駅 徒歩15分、タクシーで5分
市営地下鉄「祇園駅」下車・徒歩5分
【車】
福岡都市高速2号線「呉服町ランプ」で降車。昭和通りを200m走った「蔵本交差点」を左折。大博通りを500m走った「祇園町交差点」を右折、300m走った信号を右折し、櫛田神社正門鳥居前から右折。
【駐車場】専用の駐車場はありませんので、近くの有料駐車場を利用して下さい。
A トランスパーク櫛田神社前
冷泉6-20
B 三井のリパーク冷泉町第二駐車場
冷泉町5-17 0120-325-130 24時間営業
C NPC24H冷泉町パーキング
冷泉町5 0120-480-015 24時間営業
最後に
町屋棟には再度訪れて、写真を取り直し、帰りに櫛田神社にお参りしました。今年は、コロナウイルス感染拡大の影響で山笠が中止になったのですが、櫛田神社だけにある今年の飾り山笠をみました。
そして、櫛田神社で来年は山笠が開催出来ますようにお願いしました。
櫛田神社、山笠(「博多町屋」ふるさと館・展示棟に掲載)について詳しく知りたい方は下の記事をご覧ください。
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