福岡の寺院ー東長寺
プロローグ
先日、博多駅近くでの用事が終わったあとに、大博通り(たいはくどおり:博多駅と博多港をほぼ一直線に結んでいて、福岡市内の道路でも特に広い)沿いの東長寺に行ってきました。東長寺には、高くて目立つ五重の塔がありますので、大博通りを歩くとすぐ分かります。東長寺は弘法大使空海が日本で初めて開いた密教の霊場です。東長寺(とうちょうじ)という寺名の由来は密教が東へ長く伝わるようにと願いを込めてつけたそうです。
東長寺は九州における真言宗九州教団の拠点寺院(別格本山)です。そして、東長寺は、九州八十八カ所第一番霊場・九州三十六不動尊結願霊場・九州二十四地蔵尊第二十二番霊場としても名をつらねています。山号は南岳山です。
概要
寺伝によれば、平安時代の初めの大同元年(806年)唐(現在の中国)から帰国した弘法大師空海(くうかい)の創建とされます。兵火により一時荒廃しますが、福岡藩二代藩主黒田忠之(くろだただより)により再興されました。
境内には、堂内扉に仙厓和尚(せんがいおしょう:江戸時代の臨済宗古月派の禅僧、画家。禅味溢れる絵画で知られる。)の他、当時の文人の書画が刻まれた天保13年(1842年)建立の六角堂や、忠之をはじめとする福岡藩主の墓所があります。
また、本尊の木造千手観音立像(せんじゅかんのんりつぞう)は国の重要文化財に指定されてます。平成4年(1992年)には木造座像としては国内最大級の「福岡大仏」が建立されました。(参照:説明板)
千手観音菩薩について:千手観音菩薩は、変化観音の最も変化した姿で、人を救済する力の強い観音様です。
千の手を持つと言われ、掌にはそれぞれ目が付います。千の目は人々の願いを見届け、千の手はすべての人々に救いの手を差し伸べるためのものです。そして、その手には人々の願いを叶えるための道具をたくさん持っています。
千という数字は、どんな人達も1人も残さず助けようとする(無限の慈悲の心)の現れと言われ、人々を観察して救済し、あらゆる願いを叶えてくれる観音様です。
境内
山門
山門には山号の「南岳山」の扁額が掲げられ、両脇には増長天、多聞天の仏像が安置されてます。
増長天(仏教における天部の仏神、四天王の一尊)像です。南方を護る守護神です。
多聞天(仏教における天部の仏神、四天王の一尊)像です。北方を護る守護神です。
山門の左には、「東長寺」の開創1200年を記念して建てられた石碑があります。中央部分に「密教東漸日本最初霊場」と刻まれた荘厳な石碑です。
山門の裏
山門のすぐ近くには、九州二十四地蔵尊第二十二番霊場の札所と筑前六地蔵尊霊場となる小さな地蔵堂があります。地蔵堂には、延命地蔵尊の立江智彗地蔵尊が安置されています。霊場巡りの札所になってます。
手水舎
鐘楼
本堂の近くから見た鐘楼
大仏殿から見た鐘楼
六角堂
1842年に建てらた、福岡市指定文化財です。毎月28日の不動護摩供(ふどうごまく:不動明王をご本尊として、その前に護摩壇を設け壇の爐中に供物を投じて燃え盛る浄火によって煩悩を焼き払い供物の香りを諸尊に供えることで福をもたらす修法)のときと博多ライトウォークアップの日に開帳されます。
六角堂 福岡市文化財指定
天保十三年(1842年)博多で薬や油を扱っていた豊後屋栄蔵(ぶんごやえいぞう:萬歳楼 袖彦)は、各地の商人より浄財を募って、名古屋の堂宮大工伊藤平左衛門(いとうへいざえもん)を招き工事に当らせた。完成すると東長寺に寄進した。
この六角堂は正面が広く変形の六角で礼拝しやすくされたものである。屋根は珍しい本瓦行基葺(ほんがわらぎょうきぶき)で、九州に於ては国東(くにさき)の富貴寺(ふきじ)があるのみである。
中の六角形の厨子(ずし:仏像などを納める仏具。 両扉をつけ、漆や箔(はく)などを塗り装飾したもの)扉には当時の日本を代表する文人墨客の書画が彫刻され六体の仏像(弘法大師像・文殊菩薩像・地蔵菩薩像、薬師如来像・白衣観音像・北辰霊符神像)が安置されている。(参照:説明板)
六角堂の脇にある弘法大師(空海)像と石仏
本堂
東長寺の本堂は1984年に完成した比較的新しい建物です。
正面から
横から
斜めから
中へ
左より弘法大使作による不動明王像、平安時代に作成された木造千手観音菩薩像、弘法大使御自身作による弘法大使像です。千手観音菩薩像、弘法大使像は、普段は厨子の中に安置されて扉が閉まってます。
千手観音菩薩像は、3月21日の正御影供(しょうみえく:仏教儀式名。弘法大師の命日に,その図像 (御影) を掲げて供養する法会 (ほうえ) 。)のときしか見ることができません。普段は厨子の扉は閉まってます。
お賓頭盧様(おびんするさま:お釈迦様の十六人の弟子(十六羅漢)の一人)
大師堂
大師堂(だいしどう)とは、真言宗では弘法大使を祀るお堂を指します。
五重塔
五重塔は開創1200年を記念して建設されたものです。五重塔の内陣には、大日如来や花鳥などが描かれた「五重塔初層(一階)荘厳画」があります。塔の最上部には、空海が持ち帰った「仏舎利」が安置されてるようです。
五重塔概要
構造形式:純木造三手先 総高:25.9m 初重柱真:4329m 本尊:大日如来
工期 平成20年4月着工 平成23年5月竣工
木材 奈良吉野桧・高知四万十桧の全て桧の赤身材を使用しています。桧78t使用
屋根 瓦は美濃の岐阜耐寒瓦で1200度の高温で焼成されています。総数17850枚の瓦を使用
相輪(そうりん:五重塔などの仏塔の屋根から天に向かって突き出た金属製の部分の総称)青銅鋳物製金箔仕上げ、高さ8mの東長寺オリジナル型となっています。
露盤(仏塔の相輪のいちばん下にある四角い盤)には、中央に輪宝を右に黒田藤、左に五三の桐の寺紋が彫られています。露盤上伏鉢の中に、弘法大使御請来の仏舎利が安置されてます。
基壇(きだん:建物への水の浸入を防ぐため、水はけを良くするために平地の上に石を組み、高くした部分) 沓石(くついし)に岡山の万成御影石・基壇に佐賀の天山御影石を使用してます。石材30t使用
塗装 伝統工芸(膠(にかわ)を使用)の嵩高鉛丹・胡粉で木材の保護をしてます。
(参照:説明板より)
福岡藩主黒田家墓所
福岡藩主黒田家墓所には、真言宗に帰依した二代忠之・三代光之・八代治高の三人の藩主が葬られています。墓碑は高さ約5.4m〜5.8mの花崗岩製の巨大な五輪塔で、忠之の墓前には殉死した5名の家臣の墓碑が並んでいます。
墓所は三藩主が葬られた当初の姿をとどめていることがわかっており、福岡藩の歴史を伝える貴重な史跡です。なお、藩祖黒田如水(官兵衛)、初代長政をはじめ他の藩主の墓は、黒田家の菩提樹であった臨済宗崇福寺の北側(博多区千代4丁目)と東京にあります。(参照:説明板)
ニ代黒田忠之の墓所
三代黒田光之の墓所
八代黒田治高の墓所
福岡大仏
大仏殿では、高さ10.8mの「福岡大仏」が安置されてます。16.1mの高さをもつ光背には7仏や13仏も彫られ、後壁面には5000もの小仏が祀られています。日本最大級の木造(檜造り)の釈迦如来坐像です。また、福岡大仏の下に「地獄・極楽めぐり」の入口があり、料金無料で体験できます。「地獄・極楽めぐり」には、"死の世界を体験して再度生き返り、穢れや悩みを落とす"との意味合いがあるそうです。
福岡大仏は撮影禁止ですので福岡市が運営する画像検索サイト「まるごと福岡・博多」よりダウンロードした写真を載せました。 大仏殿 福岡大仏の参拝口
福岡大仏
地獄・極楽めぐり
「三途の川」、「閻魔大王の裁判」の絵
下の動画は東長寺の全体を上手に撮られてます。
このブログは東長寺の公式サイトを参照しました。
アクセス
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JR「博多」駅から徒歩で約10分
地下鉄「祇園」駅から徒歩で約2分
西鉄バス「祇園町」または「奥の堂」バス停より徒歩約2分
最後に
博多・福岡にお越しの際は、是非東長寺へ御参り下さい。