かざもりのブログ

福岡のこと、役立つ情報等紹介します

承天寺ー博多祇園山笠、うどん・そば、饅頭、博多織のゆかりの地、博多千年の門のある寺院

福岡の寺院ー承天寺

f:id:kazamori:20200810130612j:plain

 プロローグ

 先日、博多駅付近での用事が早く片付きましたので、全国的に夏の祭りで有名な博多祇園山笠の発祥の地と言われている承天寺(じょうてんじ)に行ってきました。今年(令和二年:2020年)は、博多祇園山笠が新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になりましたので、寂しい夏でした。

そもそも博多祇園山笠は、鎌倉時代の仁治2年(1241)博多に疫病が流行した時に聖一国師 円爾弁円(しょういちこくし ねんに  べんえん)が 、町民の担いだ施餓鬼(せがき: 普段は供養してもらえない全ての生命あるもの達の供養)に乗り、水を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したことが発祥といわれてます(諸説あり)。
現在の山笠(追山)でも、承天寺前には「清道旗」が立てられ、山笠が承天寺前に来て男衆が住職に一礼して「清道旗」をぐるりと回ります。

f:id:kazamori:20200825220843j:plain

博多祇園山笠・清道旗 yado.co.jp

 

[目次]

 概要

f:id:kazamori:20200810124334j:plain

f:id:kazamori:20200810124424j:plain

仁治3年(1242年)、博多祇園山笠の創始者といわれる聖一国師(しょういちこくし)によって開山(寺院を創始すること)されました。

建立に際しては、(そう:現在の中国)からの帰化人で貿易商の謝国名(しゃこくめい)が聖一国師を助け、大宰少弐(だざいのしょうに:大宰府の次官)・藤原(武藤資頼(すけより)が資財を施すなど金銭的に援助しました。

また、境内には博多織の始祖満田弥左衛門(みつたやざえもん)の碑や聖一国師が伝えたとされる饂飩(うどん)・蕎麦(そば)や饅頭(まんじゅう)発祥の記念碑がある他、墓所には新派劇の創始者川上音二郎(かわかみおとじろう)の墓があります。

(参照:説明板より)

境内

承天寺の境内は区画整理によりできた市道の「承天寺通り」により南西側と北東側に分かれてます。南西側には山門・仏殿等があり、北東側には本殿(方丈)、墓所等があります。

★便利がいっぱい!生協の宅配サービス★
玄関先までお届け、ご不在でも宅配
食品をはじめ多彩な商品
かんたんネット注文
詳しくはこちらから  

山門

山門には扁額(へんがく:門などに掲げる横に長い額)「勅賜承天禅寺(ちょくしじょうてんぜんじ)」が掲げられてます。

f:id:kazamori:20200810124724j:plain

f:id:kazamori:20200810124812j:plain

山門の脇には由緒書きがあります。

f:id:kazamori:20200810124508j:plain

f:id:kazamori:20200813152103j:plain

承天寺 由緒書き kofunmeguriwalking.web.fc2.com

萬松山(ばんしょうざん:山号(仏教の寺院に付ける称号))

勅賜承天禅寺(ちょくしじょうてんぜんじ:承天寺の別称)
 当寺は、四條天皇(しじょうてんのう:第八十七代天皇、僅か12才で崩御)仁治三年(一二四二)の創立にして、太宰小貮武藤資頼公(だざいしょうに むとうすけよりこう:大宰府の次官)、寺地として数万坪を喜捨(きしゃ:寄付)し、冷泉津綱首謝国明(れいせんつ ごうしゅ しゃこくめい:冷泉津は博多湾、綱首は貿易船団の長)、七堂伽藍(しちどうがらん:寺の主要な七つの建物、禅宗では山門・仏殿・法堂・庫裡・僧堂・浴室・東司(便所)を指すことが多く、宗派などにより異なる。「伽藍」は寺の建物)を建立して、聖一國師圓爾辨圓(しょういちこくし ねんに べんえん:鎌倉時代の仏教僧、臨済宗、東福寺派の祖。1202~80年。駿河の国(静岡県)生まれ)を請じて開山(寺院を創始)とした。
 後嵯峨院寛元(ごさがいんかんげん:寛元は元号、1243年から1247年までの期間、後嵯峨天皇)元年(一二四三)宣旨(せんじ:天皇の命令を伝える文書)により、太宰府の崇福寺(そうふくじ:現在の博多区千代町の臨済宗大徳寺派の寺院。当初は大宰府にあったが、黒田長政公により千代町に移転させた。福岡藩主黒田家の菩提樹)と共に累代(るいだい:代々)不易(ふえき:不変)の勅願所官寺(ちょくがんしょかんじ:天皇の勅願によって建立された官寺)に列せられ、更に後圓融帝康暦(ごえんゆうてい こうりゃく:室町時代(南北時代)の1379年から1381年まで、後円融天皇の代の北朝が使用した元号)二年(一三八〇)勅命に依り五山十刹(ござんじっさつ:朝廷・幕府が定めた禅宗官寺の寺格の寺格に陞(のぼ:位があがること)せられた。
國師は、後に藤原道家(ふじわらのみちいえ:鎌倉時代前期の公卿)の招に応じて上洛(京都に行くこと)し、建長(1249年~1256年、後深草天皇)七年(一二五五)東福寺(臨済宗東福寺派の寺院 京都市東山区の寺 釈迦如来を本尊とする寺)に開堂(禅宗で新しい住職が着任した時、最初に説法を行う儀式のこと、宗旨(しゅうし:宗教の教えとなっている中心教義)を宣揚(せんよう:広く世の中にあきらかに示すこと)すること三十八年、此の間歴朝四帝の問法を得、応長(おうちょう:1311年4月 ~1312年2月)元年(一三一一)には花園天皇(はなぞのてんのう:日本の第95代天皇、伏見天皇の第四皇子)より聖一國師の徽号(きごう:天皇が高僧に生前贈る号)を賜っている。(本朝國師の諡号(しごう:貴人・僧侶などに、その死後、生前の行いを尊んで贈る名)の濫觴(らんしょく:起源)なり)

國師の博多在住は僅かに二年足らずであったが、弘安(1278年~1288年、後宇多天皇、伏見天皇)三年六月の東福寺規範には「承天寺者我法房也」として格別の意を示している。

爾来承天寺は、臨済宗東福寺派の法源(法の根源)、西海(西海道の略、現在の九州地方)の巨利として栄え、盛時には塔頭(たっちゅう:寺院のなかにある個別の坊)四十三寺を有したと伝えられるが、現在は乳峰寺、天興庵、宝聚庵、祥勝院の四寺のみである。

 (参照:由緒書き)

 山門の近くには博多祇園山笠発祥之地の碑があります。

f:id:kazamori:20200810124853j:plain

「山笠発祥之地」の碑の近くには勅使門(ちょくしもん:皇室からの使者を迎える時に開かれる門)があります。

f:id:kazamori:20200810125053j:plain

鐘楼

山門を通ると正面に福岡市指定有形文化財の鐘楼が見えます。

f:id:kazamori:20200810125835j:plain

佛殿(覚皇殿)

f:id:kazamori:20200810130648j:plain

佛殿の前には蒙古碇石(もうこいかりいし:県指定考古資料、長さ209センチ、推定重量230キロ、凝灰岩)、旧佛殿礎石が置かれてます。

f:id:kazamori:20200810130815j:plain

f:id:kazamori:20200810130903j:plain

圓明閣

寺宝の多くが収蔵されているのが圓明閣です。圓明閣の一階には博多祇園山笠の様子が描かれた絵が置かれてます。

f:id:kazamori:20200810131200j:plain

f:id:kazamori:20200810131305j:plain

f:id:kazamori:20200810131436j:plain

圓明閣の近くには、福岡藩勤王党の流れをくむ下級武士で組織され、のちに西南戦争で薩軍に呼応して決起した就義隊を偲ぶ「舊就義隊碑」(黒田長成侯の筆)が有ります。

f:id:kazamori:20200818175545j:plain

佛殿の裏側です。

f:id:kazamori:20200810131556j:plain

佛殿のある境内を出て「承天寺通り」を博多駅方面に行くと「博多千年門」があります。

A8.netの公式ページ  

博多千年門

f:id:kazamori:20200810133051j:plain

f:id:kazamori:20200810133240j:plain

博多千年門の由緒書きです。

f:id:kazamori:20200810133326j:plain

f:id:kazamori:20200815194004j:plain

博多千年門 由緒書き kofunmeguriwalking.web.fc2.com

「博多千年門(はかたせんねんのもん)」
博多千年門」は、博多を訪れた観光客を歴史的文化財が多く残る博多の寺社町エリアへと導くウエルカムゲートです。博多の繁栄を願う地域住民、地元企業、行政が一体となって建設に取り組み、平成二十六年三月に完成いたしました。

門が建設された「承天寺通り」は、昭和四十年代に博多駅地区の発展を目指した土地区画整理事業により萬松山承天寺の境内を分断する形で整備されました。その後、周辺の御供所(ごくしょ)地区が福岡市都市景観形成地区に指定されたのを機に、平成二十二年道路景観を見直すための「承天寺道路景観検討委員会」を発足。

分断された承天寺境内と道路を一体化させ、沿道施設と調和した景観づくりを議論する中で、新たな博多のシンボルとなるウエルカムゲートの建設が提案されました。歴史的文献によれば、博多から大宰府政庁へ延びる官道には、江戸時代に「辻堂口門(つじのどうぐちもん)」と呼ばれる博多の入り口となる門が存在していました。「筑前名所図会」には門の図も描かれてます。

平成二十三年に門建設を福岡市に陳述、翌平成二十四年には地域住民と企業や団体が一体となった「中世博多をモデルとした景観形成期成会(のち博多千年門期成会)」を設立し、門の名称が全国に公募されました。約千三百点の応募の中から、多くの人から広く親しまれる名称として「博多千年門」、歴史的な名称として「辻堂口門」に決定、博多の古い歴史を大切にし、これからの千年の繁栄を願ってのものでした。

門はかつての「辻堂口門」にならった木造の四脚門形式で、切妻本瓦葺(きりつまほんかわらぶき)、中世博多の寺社様式を採用しました。景観地区に配慮したデザインは堅固な構造で将来貴重な文化財となるでしょう。門扉の板材には太宰府天満宮より寄贈された樹齢千年の「千年樟(せんねんぐす)」を用い、欄間の彫刻には博多織の献上柄模様を採用しました。

f:id:kazamori:20200818100655j:plain

博多千年門 欄間の献上柄模様 kofunmeguriwalking.web.fc2.com

門の表に掲げられた扁額「博多千年」の揮毫(きごう:毛筆で文字や絵を書くこと)は菅原道真の子孫にあたる太宰府天満宮宮司西高辻信良氏によるものです。

また、見返りの扁額「萬年正續(まんねんしょうぞく)」は、承天寺の開山聖一国師が修行した中国抗州市径山萬壽寺(きんざんまんじゅじ)の現住職、戒興(かいこう)氏によるもので、千年も万年も長きにわたり栄えることを祈念された言葉です。

f:id:kazamori:20200818105712j:plain

博多千年門 扁額「萬年正續」 jp.tadaimajp.com

聖一国師が帰国した翌一二四二年に萬壽寺が火災で焼失した際に、博多より再建のために千枚の板を贈ったという史実(国宝「無準師範墨蹟尺牘(ぶじゅんしはんぼくせき せきとく:謝礼の手紙)」)も残されており、博多に縁の深いお寺からの贈り物となりました。

承天寺通りの再整備につきましては、京都を拠点に活躍する庭師、北山安夫氏の監修によって、道路を小川に、歩道をその川岸の遊歩道に見立てた造りとなっており、仏殿と方丈を結ぶ石畳みは石橋をイメージしています。岸周囲には植栽や自然石を配置して「周辺環境と一体となったゆとりある空間」を実現しました。

f:id:kazamori:20200810161101j:plain

f:id:kazamori:20200810161212j:plain

門の建設に際し、地域の企業、団体、住民の皆様方に多くのご芳志を賜り、期成会一同、心より感謝いたしております。この博多千年門を博多の新たな歴史観光拠点のシンボルとして、大切に守り継いでまいります。(参照:博多千年門の由緒書き)

 

饂飩、蕎麦発祥の地の碑等

承天寺通りを進みますと通用門があります。通用門を通りますと近くには、「饂飩(うどん)、蕎麦(そば)発祥の地の碑」、「御饅頭所(おんまんじゅうどころ)の碑」、「満田弥三右衛門(みつたやざえもん)の碑」が有ります。

f:id:kazamori:20200810133527j:plain

f:id:kazamori:20200810133620j:plain

f:id:kazamori:20200810133712j:plain

饂飩、蕎麦発祥の地の碑

f:id:kazamori:20200818133028j:plain

饂飩、蕎麦発祥の地の碑 twitter.com

f:id:kazamori:20200810133753j:plain

サラリーマンがマンション経営で年収2000万円!【DVDプレゼント中】  

御饅頭所の碑

f:id:kazamori:20200818134904j:plain

御饅頭所の碑 4travel.jp

f:id:kazamori:20200810133833j:plain

満田弥三右衛門の碑

f:id:kazamori:20200818171253j:plain

満田弥三右衛門の碑 yahoo.co.jp

f:id:kazamori:20200810133914j:plain

少し前へ歩きますと庫裏(くり:僧侶が居住する場所)があります。

f:id:kazamori:20200810160448j:plain

本堂(方丈)、洗濤庭、川上音二朗の墓等

引き返して通用門を出て承天寺通りを右へ行きますと中門があります。また、茶色の塀があり、塀には白い筋が見えます。この塀は筋塀といい白い五本の線が入っています。

筋塀は皇族や摂家などの御所に用いられました。皇室に由来する格式を表し、その格式の高さにより三本、四本、五本の線とし、五本を最高とします。皇族や摂家が入寺した門跡寺院(皇族・貴族が住職をつとめる寺院)などで用いられました。

f:id:kazamori:20200818175944j:plain

f:id:kazamori:20200818180026j:plain

中門からは本堂(方丈)洗濤庭(せんとうてい)が見えます。普段は立ち入り禁止で、催事のときは見ることができます。

f:id:kazamori:20200826084618j:plain

方丈、洗濤庭 福岡市提供

墓地には川上音二朗の墓碑が有ります。

f:id:kazamori:20200819041249j:plain

f:id:kazamori:20200819041607j:plain

承天寺 川上音二朗墓碑 blog livedoor.jp

 

下の動画では承天寺の全体がよく分かります。

 

アクセス

地図上の+-をクリックすると拡大・拡小します。

 

JR・地下鉄博多駅から徒歩で10分

 地下鉄「祇園駅」から徒歩5分

 

最後に

 来年は、博多祇園山笠が行われて承天寺前の「清道旗」をぐるりと回る山笠の男衆が見れることを願ってます。