かざもりのブログ

福岡のこと、役立つ情報等紹介します

福岡城跡ー地中に埋もれていた!「福岡城跡堀石垣」等ー

福岡の城ー福岡城跡堀石垣等

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プロローグ

先日、大濠公園近くで用事があり、早く用事が終わりましたので、近くの「史跡 福岡城跡堀石垣」に行ってきました。この史跡への出入口は何か機械室への出入口のような建物になっているのですが、中は地下鉄の工事で発見された「福岡城跡堀石垣」がある場所なのです。

出入り口は歩行者道路内にありますが、真横が自転車道路ですので自転車にぶつからないように気をつけなければなりません。

 

[目次] 

 概略

 地下鉄赤坂駅近く、明治通りの赤坂交差点から西へ2分ほど歩いたところに「史跡 福岡城跡堀石垣」の地下への出入り口が有り、毎週土・日曜日の午前10時から午後5時まで、保存されている福岡城外堀の石垣を見学できます。

この石垣は、明治43年に市内電車を通した際に埋められましたが、昭和53年の地下鉄工事発見されたものです。残された石垣はわずかですが、時代の推移に従って石垣の積み替えが行われたことなどがわかる貴重なものです。

 

 入口附近

「福岡城堀石垣跡」周辺の案内板です。

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 かつて「西鉄ライオンズ」が本拠地としていた「平和台球場」のモニュメントです。

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「史跡 福岡城跡堀石垣」の掲示板です。

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 上の説明板は年月を経て読みにくいですが下のように書かれてます。

史跡 福岡城跡堀石垣

 福岡城は関ヶ原の戦功によって、豊前十二万石から一挙に筑前五十二万石を拝領した黒田長政が慶長六年(西暦一六〇一年)から七か年の歳月を費して築城したもので、城の規模は、広さが二十四万坪(約八十万平方メートル)で、本丸をはじめとして大小四十七の櫓が築かれ、雄大なものであった。
 「福岡城」の名の起こりは、黒田家の出身地が備前国邑久(おく)郡福岡(岡山県)であったことに由来している。
 この石垣は明治四十三年に市内電車(旧福博電車、後の西鉄電車)敷設の際に埋められたが、地下鉄工事によって発見(昭和五十三年)され保存されたもので、この他にも平和台球場入口に二か所保存されている。

この石垣が公開保存されたのは、時代の推移に従って石垣の積み変えが明らかに残っていること、及び基盤が岩で石垣が動かず当時の姿に比較的近いであろうという判断によるものである。
 石の材質は玄武岩で、宮ノ浦(西区)の唐泊地区から取り寄せたことが文献からうかがわれる。
 当時の堀の規模は、幅が三十間(約五十メートル)、深さは堀の中央部で二間(約三・五メートル)と伝えられている。
  昭和五十四年十月

          福岡市教育委員会

 

 

「福岡城跡堀石垣」への入口です。最近は、新型コロナ感染の影響で見学出来る人数が制限されてます。

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入口から階段を降りていくと係員の方がいます。

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福岡城堀石垣跡

石垣は約10数メートル程続きます。柵は有りますが、石垣を間近で見ることができます。

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福岡城跡全般の石垣の説明

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福岡城の石垣

福岡城は天守台本丸二の丸三の丸など多くの部分が石垣で造られてます。

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その総延長は3kmを越え、高さが10m超えるところもあり、石垣のすばらしさで有名な城です。

一見、同じに見える石垣ですが、大きく二種類に分けられます。

一つは自然石を積み上げた野面積(のづらづみ)の石垣で、基本的には古い石垣に使われていたと考えられます。天守台を中心に城の南に多く採用されてます。石材は玄武岩が多く、他に礫岩も使われています。

二つ目は、矢で割った粗割石を用いて積み上げた石垣です。上之橋御門石垣にも採用されている積み方です。野面積に比べると、石垣の勾配は急になり高さも増していきます。石材には矢穴の割跡が残ってます。お城の北側を中心に見られ、石材は主に花崗岩が使用されてます。

また、石材の一部にには刻印と呼ばれる「卍」・「〇」・「◇」などの記号が見られるものがあります。(参照:説明板)

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野面積 天守台南側

野面積(のづらづみ)とは、未加工の自然の石を積み上げた石垣です。石の形に統一性がありませんので隙間や出っ張りができ、排水に優れ頑丈です。技術的に初期の石積法です。

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割石積 上之橋御門

割石積(わりいしづみ)とは、表面に出る石の角や面を叩き、石と石の隙間を減らして積み上げる方法です。隙間には間詰石が詰められました。

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算木積 東御門跡

算木積(さんぎづみ)とは、石垣隅の積み方で、長方形の石材を1段毎に方向を違えて積み上げる方法です。長方体の石の長辺と短辺を交互に重ね合わせることで強度を増します。

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福岡城跡の地図、絵図等の説明

下の地図は江戸時代の福岡ですが、うっすらと白い線でもう一つ地図が見えるのですが、それが現在の福岡になります。この地図を見るといかに埋め立てられたのかがよく分かります。

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下の絵図は正保3年(1646年)に幕府に届けられたもので、福岡城が描かれた絵図としては最も古い絵図です。福博惣絵図(福岡城部分、福岡市博物館所蔵)

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アクセス

 

 地下鉄

地下鉄空港線・赤坂駅から徒歩約2分。

 バス

西鉄バス・法務局前から徒歩約4分。

 

最後に

「福岡城跡」の記事を書いていたら、たいへん長くなりそうなので、数回に分けることにしました。「福岡城跡」の次の記事は「上之橋御門(かみのはしごもん)~天守台」にする予定です。