福岡の寺院ー聖福寺
[目次]
プロローグ
先日、博多駅に用事があった帰りに散歩がてらに、博多駅から徒歩で10数分で行ける博多区にある日本で最初の禅寺であり、日本茶発祥の地である聖福寺に行ってきました。
境内には人懐っこい猫ちゃんがいますので癒しになります。博多駅周辺と異なり物静かで別世界です。ここに来ると何故か落ち着くのです。
また、聖福寺はブラタモリの博多編で紹介されました。下の写真は聖福寺の重要文化財の高麗時代の朝鮮鐘を突いているタモリさんです。
福岡市街地にある猫寺(ФωФ)聖福寺🐈
— あべ(ΦωΦ)けいすけ🀄♨️⚾️ (@abksk12) June 21, 2018
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概要
聖福寺(しょうふくじ)を開いた栄西(ようさい\えいさい)禅師(1141~1215)は中国(南宋)で禅宗を学び、その教えを広めるために建久(けんきゅう)6年(1195年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝(みなもとよりとも)よりこの地を賜り、聖福寺を創始しました。
山号を安国山(あんこくざん)、寺号を聖福至仁禅寺(しょうふくしぜんじ)といいます。そして、元久元年(1204年)後鳥羽天皇より「扶桑最初禅窟」(ふそうさいしょぜんくつ・日本最初の禅寺という意味)の勅額を賜りました。
また、栄西禅師は茶祖とも言われてます。中国(南宋)よりお茶の種子を持ちかえり、茶樹の栽培、喫茶の方法、喫茶の習慣を伝え、その普及に大いに貢献しました。
中国で広まったお茶を飲む習慣は、厳しい修行をする禅僧たちに重宝されました。お茶はもともと薬として用いられ、体を壮建にすると考えられました。栄西禅師は『喫茶養生記』という喫茶効用の書物を書き残してます。
聖福寺には茶道の文化が今も伝えられており、四頭茶会(よつがしらちゃかい)という古い形式の茶会が行われています。
『日本茶発祥の「茶の木」』の説明板には次のように記されてます。
現在、飲まれております日本茶は今より約800年前の1191年に臨済宗の「栄西禅師」が中国(南宋)より帰国する際、茶の種を日本に持ち帰り、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈の「背振山霊仙寺石上坊」の前庭で栽培したのが始まりとされ、その後「聖福寺」境内で栽培されています。
この茶の木は、禅師の偉業をたたえるとともに、茶振興を祈念し関係機関の協力を得て、茶樹栽培発祥の地「石上坊跡」に自生する栄西禅師ゆかりの茶の木を移植したものです。
平成20年3月15日
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町地域おこしグループ「さざんか塾」
また、昭和44年(1969年)に山内寺院を含め境内一帯が国の史跡に指定されました。
境内
境内には、 勅使門(ちょくしもん)、無染池(むせんいけ)、山門(さんもん)、仏殿(ぶつでん)、方丈(ほうじょう)と禅宗様式の直線に結ぶ建物や、庫裡(くり)や禅堂(ぜんどう)などの七堂伽藍(しちどうがらん・特定の建物の名称ではなく、お寺に建てられている主要な建物を総称する言い方)が建ち並んでいます。
勅使門
大博通りの「奥の堂」のバス停の近くの角を曲がって、突き当ると勅使門(ちょくしもん・寺院で勅使参向のとき、その出入りに使われる門)が見えます。十六弁の菊の御紋章、博多塀が特徴です。通常は開けられることはありません。
総門
右に曲がって前へ進むと総門(そうもん・禅宗の寺で表門)が見えます。天正17年(1589年)中興後、黒田長政公が筑前国に入り福岡城を造った為、名島城にあったものを移築したと言われてます。足利紫山書の「安國山」の額が掛かってます。
総門の手前に聖福寺の説明板と聖福寺が菩提所である三人の石柱があります。その三人は平岡浩太郎(玄洋社初代社長)、廣田弘毅(第三十二代首相)、満田彌三右衛門(博多織の祖)です。そして、もう少し先に進むと車も通れる通用門があります。
無染池
総門を入って左に行くと勅使門と山門の間に方生池(ほうじょういけ)が造られています。瓢の形をしてることから「瓢池(ひょうたんいけ)」と親しみ込めて呼ばれてます。正式には無染池(むせんいけ)と言います。
山門
山門(さんもん・仏教寺院の正門)は慶応2年(1866年)に焼失しました。この時、「扶桑最初禅窟」の勅額は幸いに落下して 焼失を逃れました。明治44年(1911年)に再建されました。
仏殿
仏殿(ぶつでん)は、寺院の本尊様を祀るところです。仏殿には古来の禅宗様式を残した丈六三世仏(釈迦、弥勒、弥陀)が再現安座してます。三世仏は丈六(4m80cm)では珍しい乾漆(漆工技法の一つ)で造られています。乾漆の仏像としては「日本一の大きさ」になります。毎月15日に祝聖(禅宗の寺院で、天皇の寿命無窮を祝い祈ること)が行われます。
鐘楼
鐘楼(しょうろう)とは、寺院などで鐘を設置するために設けられた施設です。天正17年(1589年)110世耳峰玄熊造築の後、宝暦9年(1759年)、122世盤谷紹適が改築しました。国指定重要文化財銅鐘(朝鮮鐘)が昭和51年(1976)までかけられていましたが、今の鐘は黄鐘調の梵鐘です。平成15年に屋根瓦を葺き替えました。
方丈
中門から先にある建物には一般の観光客は入れません。ですので、方丈(ほうじょう・本堂)には、一般の観光客は入れません。中興耳峯玄熊和尚が再建し、その後黒田如水・長政により肥前名護屋城の旧館を移築しました。方丈はたびたび修理・改修がなされてます。聖観音菩薩像(しょうかんぜおんぼさつ)が祀られています。
庫裡
庫裡(くり)は、寺に住んでいる僧侶等が寺務、生活をする場所です。天正17年(1589)中興の後、120世鶴州(かくしゅう)禅壽が改築し、明治42年(
禅堂
禅堂(ぜんどう)とは、禅を修行するための堂です。享和2年(1802年)僊厓禅師(せんがいせんじ)が塔頭継光院の旧構を移築して禅堂を再建しました。また、平成19年に内部を全面改修しました。
開山堂
隣の護聖院の境内の中に開山堂(かいさんどう)があります。開山堂の真殿の正面の厨子には開山栄西祖師の座像が安置されています。その脇の達摩像の木像は九州においても古い像です。開基源頼朝公像も安置されています。開山堂は天正17年(1589)中興後数回の修復がされて今日に至っています。平成16年に屋根瓦葺き替え、平成17年敷瓦を敷きました。
菩提樹
お釈迦様は苦行難行の末、菩提樹(ぼだいじゅ)の樹の元で坐禅を組み、12月8日明けの明星をご覧になられて、お悟りを開かれました。菩提樹は仏教にとっては大切な樹です。禅堂の前には僊厓禅師が「菩提之樹、勿翦勿伐佛之所坐」の石碑を建てて大切にしています。その他、開山堂前にもあります。ここにある菩提樹はインド菩提樹と違い支那菩提樹です。日本へ最初に菩提樹を請来した人は、栄西禅師です。文治5年(1189)香椎の文治寺(後報恩寺)植え、後建久6年(1195)に奈良東大寺鯖木の跡に植えられました。東大寺では今でもそこに現存しています。その後、各地の寺院に植えられるようになりました。
下の動画は聖福寺の全体を説明してます。
このブログは聖福寺のホームページを参照してます。
アクセス
飛行機でお越しの方
・福岡空港よりタクシーで約15分
・地下鉄空港線「福岡空港」→「祇園」まで約7分「祇園」から徒歩約5分
JR九州・新幹線でお越しの方
・JR博多駅よりタクシーで5分
・JR博多駅より徒歩約15分
地下鉄でお越しの方
・地下鉄空港線「祇園」より徒歩約5分
・地下鉄箱崎線「呉服町」より徒歩約15分
バスでお越しの方
・「祇園町」バス停より 徒歩約7~8分
・「奥の堂」バス停より 徒歩約7~8分
車でお越しの方
・九州自動車道「福岡インター」より
都市高速「呉服町ランプ」下車
・九州自動車道「大宰府インター」より
都市高速「千代ランプ」下車
最後に
聖福寺のある御供所町(ごくしょまち)は、聖福寺以外にもお寺がたくさんあります。また、近くには博多を代表する神社の櫛田神社もあります。博多駅から徒歩で十数分で行けますので、博多駅近辺にお越しの際には是非よってもらいたいです。